Bali Seminyak バリ セミニャック

男女平等を唱える滑稽さ Sexual Equality?

男と女、LGBTQ – 個性とはまた別に、それぞれに「特徴」や「違い」があることが自然であって、その「特徴」や「違い」に応じて適材適所で活動し、活躍できるといいんじゃない? 男女平等を唱える人達の主張には、「平等=同一」と捉えてるんじゃないか?と感じることが多くて、私はそれは違うんじゃないかと思ってる。

森喜朗氏は「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」「わきまえている」などの発言が女性蔑視として捉えられて、東京五輪・パラリンピック組織委員会(JOC)の会長職を辞任した。後出しで新聞各社が全文を掲載していたが、何故か「全文」なのに全ての発言を書き起こしていないものもあったけれど。森喜朗会長の3日の“女性蔑視”発言全文(スポニチ) てか、中に女性記者がいたろうに、「いや、あなたの会見の方が時間がかかすぎですから~!」とでもつっこみゃよかったのに。

森氏が「男尊女卑」の考え方であったとして、戦前戦後時代背景の中で培われたものを簡単に変えることができるものでもないだろうし、仕方がないと思っている。あと、私自身、特に会話では自分の感情を正確に言葉に落とし込めない時があるから、単に「言葉」を責める気になれない。

その森氏でも、「自分自身の部下の女性達は良くやってくれている。」と言っているのだな、と私は受けた。私には今回の森氏の辞任劇は、なんだか日本が(というがメディアの「森降ろしプロパガンダ」が)感情論に走りすぎていて、怖いと感じた。そもそも、そういったジェンダー論も含めて人選するんであれば、JOCのように特に国際的に活動しなければならない場では、もっと若くて時勢に対応できる人材を会長に選ぶべきではなかったか?

もちろん、性別の違いなく、人間としての機会均等はあるべきだと思う。でも、日本の女性の地位向上には、日本の多くの女性自身が変わらなければ。正直、日本の中で、女性は「女性であること」で楽や得を求めている場面も多いと思うんだよね。「責任とりたくないから女性の方が楽~」「非正規雇用の方が、気軽に休めて旅行行ったりできるし~」「子供育てながらのパートで十分だわ」とか。



そもそも論・・・というか、極端な考えなのかもしれないけれど、この発言で女性蔑視というのなら、女性は「競技も男女の区別なく!」とかは、言わないのかな?南アフリカ共和国のアスリート、キャスター・セメンヤ(Caster Semenya)氏は、自身の性別を疑われ、2019年に「テストステロン値が高い」として女子として、競技に参加するためにはテストステロン値を下げて参加しなければならないとされた。2021年2月25日、この件について欧州人権裁判所に提訴することを明らかにしたそう。セメンヤが欧州人権裁へ提訴 世界陸連の女子規定問題(産経新聞ウェブサイト)

LGBTQでは男性・女性の垣根を超えている方もいれば、全く正反対の性別にあてはまると自分で認めている人もいる。基本的に「自分は女性」と言い切れる人にとっては、女性らしさは当たり前かもしれないし、私のように「女性の身体・感覚の中に、男性的な視点がある」人もいるだろう。でも、絶対私は「男性」ではないし、ホルモンバランスに困らせられる女性である。女性であるからこそ、見える視点があることを自覚しているし、男性がいてありがたいと思えるし、LGBTQだからこその視点に頷ける。

人間様々だからこそ、適材適所があると思う。表現方法も、様々。
「女性蔑視的発言」に取られそうなことを公の場でわざわざ言うのもナンセンスだけれど、国会などに女性〇割を必ず置かなければならないとする・・・なんてそれこそナンセンス。私には、女性がバカにされてるように聞こえるんだけれど。じゃ、LGBTQはどうするのさ。能力があってその地位を求める人たちがもっともっと増えれば、自然と女性も多くなるよ、きっと。

バリ島スミニャック in 2019

写真は、バリ島スミニャック in 2019。


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